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未来への準備 in Texas, U.S.A.

 2010-07-28
mexican food


夏休みが始まってすぐ、娘がアメリカに旅立ちました。
2週間の予定で、テキサス州の友人V宅にホームステイします。
おばあちゃんと一緒だし、気心知れた友人の家なので、な~んも心配なし。

この企画は、まだ実家の父が存命の頃、娘がまだ1歳半のときに計画されたものです。
父が、姉妹都市からホームステイにやってきたVに
孫であるこの子が大きくなったら是非、アメリカで暮らす体験をさせてやりたい
ついては、この子のホームステイ受け入れを頼む。
そう言い残して逝ったので、これはいわばおじいちゃんの遺言でもあります。

あれから、幾星霜。
昔おじいちゃんがお守りに、腰にずっとつけていた小さな水晶玉を譲り受け
旅の荷物にくくりつけて、娘は旅立って行きました。
言葉なんてたいして通じなくて良いから
まだ若く柔らかな感性で、異文化を体験して来て欲しいですね。

しかし最近の通信テクノロジーの発達と言ったら!!!
ステイ先のiPhoneから、逐一報告のメールが来る来る!
今朝はメキシカン料理をみんなで美味しそうに囲んでいる写メと
Vの家の娘と並んでペディキュアをしている笑顔の写メが届きました。
到着2日経って、(英語力はさておき)すっかり打ち解けているようです。

その昔、私もちょうど娘と同じ高1のとき
日本人の一人も居ないユタ州の片田舎に1ヶ月ホームステイをした経験がありますが
里心を断つため国際電話は禁止、一番速いエアメールでも1~2週間かかりましたっけ。
今やほぼオンタイムで、太平洋の向こうから鮮明な画像と文章が届くのですからねぇ。
30年経つうちに、なんだか地球はすっかり狭くなったような気がします。

16歳と言う年齢で
文化、暮らし、言葉、習慣、その他まったく異なる環境に身を置く事は
きっと人間の幅、といおうか
自分と違うもろもろを受け入れる器を広くすることに繋がると信じます。

私は、高1でのアメリカ滞在から始まって
高2でニュージーランドのガールスカウト・ジャンボリー(国際キャンプ)参加
大学生の時はクラスメイトの韓国人留学生宅訪問
20代中盤からは仕事でタイに滞在の義父を訊ねての浦島旅行
イタリア、イギリス美術館見学貧乏行脚
その他、小さい頃からいろいろ国内放浪を重ねて来ましたが
子供のうちにそれらの旅、滞在を経験した中で
何が良かったかといって、全然違う文化や考え方を
ほほう、そんなやり方もアリなのね、と
最初から排除する事なく、一旦受け入れて考える素地が出来た事ですね。

いずれあと数年の後には
娘も自分の羽で、ここを巣立って行くでしょう。
そのための羽ばたきの準備期間に、良い旅の経験を織り交ぜられたことに感謝します。




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夕雲

 2010-07-20
DSCF4357.jpg

毎日暑くて、なかなかギラギラの太陽の下へ出て行く気力がありません。
今日は光化学スモッグ注意報も出て、よけいに気がくじかれます。

それでも一日はゆっくりと回り
昨日と同じ場所に、昨日とそっくりな入道雲が立ちました。
沈み果てた太陽の、最後の光を受けて輝く夕雲。
あの雲の下は、何処だろう?

ちょうどあの辺りには、夜、我が家から
もうすぐスカイツリーにその荷を譲る、東京タワーの光が見えます。
その延長線上は、何処に当たるのでしょうか。
地図に定規を当ててみるとその先は
浜松町、新宿、中野、和光市、朝霞…。
あの下には雷雨が降っているのでしょうか。

遠くそそり立つ雲が、桃色の高層雲に薄群青の陰を長々と引っ張って。

今日一日も、無事に暮れて行きます。
家々の明かりが、ぽつり、ぽつり。
庭の桃の木の枝が微かに揺れて、夕凪。
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梅雨明けの富士山

 2010-07-17
DSCF4325.jpg


買い物に出た娘からメール、「富士山が見えるよ~」。
急いで西の空を見ると、湿気を含んだ夕雲を背景に、ごくうっすらと富士山の姿が。

台風の翌日でもない限り、よっぽど条件が揃わないと見えない夏富士。
どうした加減でしょうか。

いつもの東電姉崎火力発電所煙突のライトも遥かに滲んで見える空。
久しぶりに見る山頂の姿です。

関東甲信地方の梅雨が明けたと、ニュースで知りました。
これから夏本番ですね。
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海の彼方へ

 2010-07-15
Sashimi

アメリカ・テキサスの知人弁護士さん宅に望まれて、明日、海を渡る旅に出る作品です。
タイトルは「Sashimi」。
そのまんまですが。

世界に通用する日本食文化シリーズと称して、「Tempura」「Sushi」と発表して
そして3部作を締めくくる大作、P50号の
「Sashimi」であります。

16年前の個展に出品した作品ですが、今頃になって「あの作品はまだ手許にあるか?」と問い合わせを頂いて日の目を見る事になった、幸せな奴です。

さすがに16年も前ですので、今とは画風が全く違いますが
根底に流れるもの、日本や日本を取り囲む諸々の事柄に対する諧謔精神は変わりません。

幼いときからアメリカ海軍基地の街で育ち
家の中にも外にも横文字が氾濫する生活の中で
これは妙だなと感じた事柄はそのまま大人になっても疑問は消えず
今に至っています。

ですから、これが日本人でなく、アメリカ人に好まれたと言う事が、私にとっては
してやったり!なのです。
諧謔の、そのまた諧謔と言いましょうか。

打診から発送まで、ものすごい労力と、そして
関係各人のご協力なくしては発送出来なかったことであります。
全てを可能ならしめた事柄に感謝いたします。

P50 (1,167mm×803mm)
雲肌麻紙、岩絵の具、水干絵の具、純金箔、色鉛筆、膠
パネル張り込み

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